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「遠藤周作と尊厳死」もう一つの世界

 

吉田 豊 元弘前大学学長 東北支部顧問 仙台で公開講演 
                            

日本尊厳死協会東北支部理事、現顧問 吉田豊・弘前大学名誉教授、元弘前大学学長の公開講演会「遠藤周作と尊厳死 もう一つの世界」が2012年(平成24年)5月13日、仙台市青葉区のエル・パーク仙台(141ビル「仙台三越定禅寺通り館」6階)で開かれました。
現在、弘前市在住の吉田先生は1930年(昭5年)生まれ。大腸がん集団検診方法の確立に貢献したことで河北文化賞を受賞したほか、フランス国教育功労賞受賞など、医学面での功績が多く、その一方で文化勲章を受章したカトリック作家の遠藤周作とは生前から深い交流があり、「周作クラブ」の熱心な会員。7年前に「医者がみた遠藤周作―わたしの医療軌跡から」を出版しています。
                  ◇
ここでは、遠藤周 作との出会いから、周作という人の生い立ち、死生観、それに「無駄な延命治療はしないで…」と、生前、終末期の医療について、順子夫人に日本尊厳死協会と 同じ考えを伝え、約束していたことなど、講演の前半、第一部の要約を紹介します。吉田先生は講演に先立って「遠藤周作の文学研究者でも文学評論家でもな く、一ファンに過ぎない」と謙そんしていましたが…。

▼ 学生時代、輪読会で『沈黙』に出会う ▼
 私は遠藤周作という人を大変、不思議というか、すごい人と思っているのです。京都での講演に急ぐあまり、息子のヘアクリーム を持って出掛けた。ところが、それは女性の脱毛クリームだったことが、つけてからの異臭で気付いて大変、驚いたというのです。「不思議・すごい」と私が思 うのは、あわて者、そそっかしいあの人が、人の心を揺さぶる『沈黙』のような宗教思想の小説を、どうして書けるのか、と思うわけです。あれはキリスト教会 でも大きい反響、というよりは反論が出て、教会では禁書にもなったのです。そのころの遠藤周作は世界的にも有名になって、ノーベル文学賞受賞がほとんど決 まっていたのです。ところが、キリスト教会の反対などもあってか、受賞されなかった。ニューヨークタイムズなど米紙は「次のノーベル賞は遠藤周作」と書い ていたのですから、私はすっかり受賞するものと、思っていましたが、大変、残念なことでありました。
 カトリック作家、遠藤周作との出会いは、昭和41年、私が医学部の助教授になったばかりのとき、日本キリスト者医科連盟の学生部会で輪読会に誘われ、そのときのテキストが『沈黙』だったのです。 そこで初めて「ゆるしの神」、罪を罰しない慈母のようなキリスト像に接し、とても感動しました。
それまでミッションスクール(高校)で学び、その後もキリスト教に接してきた私は「罪を罰する神」、「怖い神」を学んできましたから、優しい慈母のような『沈黙』のキリスト像に驚きました。
「医道とは、弱者への無限の同情である」(久野寧・生理学者、文化勲章受章者)の言葉に大変感動して「これが私の道」と思っていたとき、この言葉と遠藤周作の『沈黙』の「神」とがつながっているような気がして、それから遠藤作品を読むようになりました。
 遠藤周作は『海と毒薬』、『沈黙』、『侍』、『深い河』など純文学の作品と、狐狸庵山人を名乗って書いた『おバカさん』、 『狐狸庵閑話』などユーモア作品との二面相作家と言われますが、軽妙洒脱、抱腹絶倒の随筆、歴史人物小説なども書く多作の人でした。さらに、「樹座」とい う素人劇団をつくり、国立劇場のほか、ニューヨーク、ロンドン公演もやっています。

▼ 人生を動かした母親コンプレックス ▼
これら多面な活躍の背景には、周作の生い立ちと関係があると思うのです。少年時代の周作の愚直さ。例えば、「黒の反対は?」と 問われて普通の子供は「白」と答えますが、周作は「ロク」。「寒いの反対は?」―「イムサ」と答える。「劣等生・周作」ですが、頑なに愚直さを通したので す。  
また、大連での少年時代に母親がいつも父親にいじめられていると思い込み、父親は尊敬していなかったようです。そして、両親が離婚後、身内のいる神戸に来たところ、カトリック信者のおばが母親と周作、兄の3人に洗礼を受けさせます。周作少年は、そこでは怖い教会、自分に合わない、このキリスト教にはついていけない「だぶだぶの服」を着せられた感じを募らせます。日本の風土に生きた周作にとって、西洋の理性からくるキリスト教教育にはなじまないのです。
母親は周作が「劣等生」のときも叱らない、勉強をしなさい、と言わない。そればか りか、周作に「お前は晩成型だから、きっと立派になる」と励ましていたのです。ですから、周作は母親への畏怖と愛慕、母親コンプレックスで、母の写真を常 に持ち歩き、母が自分の良心であるとも言っていました。
 遠藤周作の弟子、加藤宗哉氏(作家、「三田文学」編集長)は、こう言っています。
 「キリスト教を懸命に学んだのも、そのキリスト教を捨てなかったのも、そして神をテーマにして小説を書き続けたのも、周作の場合は何よりもまず母に対する愛着に由来していた」。
つまり、母親コンプレックスがすべて彼の人生を動かしていた、というのです。
 私たちは生まれていつかは死ぬ―という人生を持っていますが、母親コンプレックスを持っていた遠藤周作の死生観は、どうで しょうか。 遠藤周作は「人生」と「生活」とをはっきり分けていますが、カトリック教徒としてイエス・キリストの生き方に添って生きたい、死後の世界(永 遠の命)がある―、と信じていました。そこでは愛する母にも会えることを強く期待していました。
 しかし、同じキリスト教徒であっても、みんな同じような人生を送るとは限らない。人それぞれ、人生に浮き沈みがあり、紆余曲 折があるのが当たり前。遠藤周作は何度も「だぶだぶの服」を替えて日本的キリスト教に変えようと、一時はキリスト教を辞めようとさえ考えますが、それがで きなかった。結局は母親の信じた人生を送ったのです。

           

▼ 母親的な「優しいキリスト教」を求める ▼
フランスの作家ベルナノスの「信仰とは90%の疑いと10%の希望である」を遠藤周作はよく引用していますが、自身も信者でありながら、疑いを持っていた部分が大いにあったのではない か。そして、生涯を通して、厳父のようなキリスト教(西洋的な神)ではなく、日本人に合った母親的な慈母のキリスト教(東洋的な神)を懸命になって書き続 けた方ではないか、と思うのです。
 このころ、遠藤周作は昭和48年、『イエスの生涯』を書いています。ここでは、「真実」と「事実」を分けています。たとえば、われわれはクリスマス12月25日、イエスキリストが生まれた日と、信じています。これは「真実」。しかし、「事実」はキリストが生まれたのは、1月か、3月か、5月か、諸説があって、12月でないことははっきりしている。しかし、それは「事実」であって、大事なのはそこから生まれる「真実」と、言わんとしています。自身も「事実」をよくみきわめることによって「真実」を求めていたカトリック作家ではなかったか、と思うのです。
 この『イエスの生涯』で、遠藤周作は小説家として「事実」を書いたのです。
聖書の中では、イエス・キリストは多くの奇跡を起こしています。波を鎮めたり、一つのパンで5千人に分け与えたとか、目の見えない人を見えるようにした―とか。しかし、これらの奇跡のことは『イエスの生涯』には一切な い、そういう「強いイエス・キリスト」を書かなかった。というよりも、遠藤周作は丹念に史実を調べた上で、「事実」として、そのようなことはなかったと確 信できたのでしょう。
そして、書いたのは「弱い、無力な、イエス」像。奇跡を起こすような「強いイエ ス」ではない、いつも病弱な人、地位のない、弱い人に優しいイエス。つまり、奇跡とか、力よりも「愛」が大切と言っているわけで、これを守り、これに従う ことによって「真実」、「信仰」を見つけたい、というのが、遠藤周作の思想ではなかったかと思います。
宗教は「清いこと」、「いいこと」だけを教え、それを強く求めるが、そうではな く、宗教は「清」と「濁」、合わせて飲むものだ、と遠藤周作は強調しています。ですから、「善」だけではなく、「悪の中にも救いがある」、という考え方を 持っていました。それが、氏の宗教観ではなかったか、と思うのです。
しかし、つねに信仰への疑いを持っていた氏は、「死の恐怖」を持っていた一人です。一つは、生から死への「通過儀礼としての死」の苦痛を怖れていました。
「死というものは、たぶん、海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいが、 いったん中に入ってしまうと…」(フランスの作家、セスブロン)。この「冷たい」苦痛を大変、怖れ、もう一つは「死という未知の世界」に入ることを怖れて いました。自分の信仰を強くすることによって「怖れ」を克服しようと努力していたのではないか。また、「死とは次の世界に入ることだと信じています」と、 はっきり書いています。そして「私が死ぬことに喜びを感じるとしたら、死んだ母や兄に会えることです」と。信仰に疑いは持ってはいても、死後の世界に喜び を見いだしたり、希望を持っていたと言えます。

▼ ジタバタして死ぬのも尊厳死 ▼
死に方について、日本には従容として死ぬ「死の美学」がありますが、遠藤周作はこう言っています。
「自分も従容として死にたいが、できないだろう」。
つまり、人間として尊厳を損なわない死に方をしたいが、肉体の苦しみは理性を失わせる。理性では肉体の苦しみを克服できない、という考え方。だから、ジタバタして死ぬかもしれない。それは、人間としてそれでもいいんだ、と。
キリストが死ぬときに十字架に磔にされ、ローマの兵に槍を刺されて非常に苦しみ、 彼は「わが神よ、なぜ私を見捨てるのですか」と言って、最後には「すべてを委ねたてまつる」と。イエス・キリストも痛みに耐えられず、そういう言葉を発し ている、ということを知っていますから「ジタバタして死ぬのも、一つの尊厳死ではないか」と、氏は言っているのです。
「死の準備」について、遠藤周作は自分の「自己決定」(リビング・ウイル)を生前の意思として示しておくことと、はっきり言っています。
順子夫人との約束には、「助からなくなったら、安楽に死なせてくれ」、「無駄な延 命治療はしないでくれ」、「数日の延命なら、人工呼吸器はつけないでよい」。できるだけ苦痛を取ってもらって自然死をしたい、と。これはリビング・ウイ ル、日本尊厳死協会の言っていることと、全く同じであります。
そして、ホスピスがいいのではないかとも言っています。ホスピスには肉体の苦痛を 取る、精神的な苦痛(孤独)をケアする役割がありますが、中でも肉体の苦痛を取ることを重要視して欲しい。「末期がんで苦しんでいる人がいるときに、どの ようにして尊厳死させてあげようか。人間らしく尊厳死を遂げさせるということです。ホスピスも精神的な慰めもさることながら、肉体的な痛みを取ってやるこ とに意を集中しなければならない」と言っています。つまり「痛みを取る」ということは、私たち日本尊厳死協会の思想と一致するわけです。
遠藤周作の死生観は『イエスの生涯』にみるような「弱いイエス」を探り、それに従順であること(愛)に原点があるかと思います。

                                           

  (「第二部 現代医療観 もう一つの遠藤周作」略)

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